1939年8月の暮れ、クイーンメリーはニューヨークからサウザンプトンに向けて、帰還の途中にありました。しかし風雲急を告げる国際情勢によって、彼女はHMSフッドによる尾行を受けることになります。9月再びニューヨークにクイーンメリーが到着した際に第二次大戦が勃発しました。ニューヨーク港ではすでに積年のライバルであったノルマンディーが停泊しており、本国からクイーンメリーはそこに留まるよう命令をうけました。1940年、この港にクイーンメリーの姉妹艦クイーンエリザベスが本国から空襲を逃れるため加わりました。これら英仏の巨大客船たちが舷を並べてニューヨーク港に一同に会する様子は、さぞかし豪華なものだったことでしょう。
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ニューヨーク港に停泊した英仏の3巨船。下からクイーンエリザベス、クイーンメリー、ノルマンディ。左下に映る乗用車からも、そのサイズがうかがい知れる。 |
イギリス政府は、港に停泊しているクイーン姉妹の高い輸送能力に目をつけ、彼女らを兵員輸送船として活用することを決定します。クイーンメリーはそこで船体が純白から戦時カラーの灰色にすべて塗り替えられ、オーストラリア兵とニュージーランド兵をイギリスへ輸送するため、喜望峰を経由してシドニーに向かって3月21日に港を出航しました。最終的にクイーンエリザベスも加わり、彼女たちは第二次大戦中で最も巨大でかつ高速な兵員輸送船として大活躍することになります。一度の航海で1万5千人近くの兵員を輸送でき、さらに他の軍艦が決して追跡できない常時30ノット近くという高速での航行は、時に護衛の軍艦も必要ないほどで、そのグレーに塗られた戦時カラーとも相まって、彼女らには「灰色の幽霊」というニックネームが与えられました。

船体が灰色に塗られた戦時中のクイーンメリー
この大活躍する英国の巨大客船を相当恨めしく思ったヒトラーは、配下のUボート部隊に対してクイーン姉妹を撃沈した者に25万ドル相当の報奨金と鉄十字章を与えると通達したほどです。しかしながら、両客船の高速度では、潜水艦による撃沈はほぼ不可能な話でした。一度だけ、クイーンメリーが南アメリカの海域を航行していた際、スパイによって進路を教えられ待ち伏せを行ったUボートが雷撃を試みようとしましたが、危険を察知したクイーンメリーはコースを変更し、そのまま逃れることに成功しました。クイーンメリーが大戦中に輸送した人員の総数は、76万5429人であったということです。姉妹艦も合わせれば、実に160万人近くの人員を運んでいます。